いつからか。
2005年 06月 21日
人間が作り上げてきた社会。
社会は人間にとっては、生活の営みの住処であり、集団意識を高める意味にとっても存在価値が高いもの。しかしながら、いつからか、人間は自分達で作り上げてきた社会に振り回せれるようになた。まさに目まぐるしく変化し、あらゆるものへと成長を繰り返す、変化自在の存在。そういった目まぐるしさは、人間を疲労させ、いつからか、絶望さえ感じさせないものへと移り変わっていく。
ミイラ取りがミイラになるなどという、昔からの言い草がぐさりと心に刺さることもわからなくはない。本来は自らの意思によって変化を起こすというモットーが、いつからか、自らの意思に関係なく、周りに気をとられ、気を使い、心労をともなうまでに、蔑みをあじわうような、そんな社会には何を期待ができるのだろうか。
せめて、社会というものが、未知の怪物との闘いというよりは、自由参加型の自己主張の場と受け入れられてはいかないだろうか。
社会は人間にとっては、生活の営みの住処であり、集団意識を高める意味にとっても存在価値が高いもの。しかしながら、いつからか、人間は自分達で作り上げてきた社会に振り回せれるようになた。まさに目まぐるしく変化し、あらゆるものへと成長を繰り返す、変化自在の存在。そういった目まぐるしさは、人間を疲労させ、いつからか、絶望さえ感じさせないものへと移り変わっていく。
ミイラ取りがミイラになるなどという、昔からの言い草がぐさりと心に刺さることもわからなくはない。本来は自らの意思によって変化を起こすというモットーが、いつからか、自らの意思に関係なく、周りに気をとられ、気を使い、心労をともなうまでに、蔑みをあじわうような、そんな社会には何を期待ができるのだろうか。
せめて、社会というものが、未知の怪物との闘いというよりは、自由参加型の自己主張の場と受け入れられてはいかないだろうか。
by mori_mori_108
| 2005-06-21 14:04
| 生活もの